灼熱/Massey

土曜の18時くらいに家に帰ってから、今日の朝6時に自販機にジュースを買いに出るまで僕はずーっと部屋にいた。

その間は時間の経過が分からないようにカーテンを閉め、電気もつけなかった。

飯は適当に家にあった搾菜とチョコ、飲み物は部屋に置いてあった1.5リットルコーラ。

 

とにかく部屋の中から出たくなかったのだ。

 

ゲームをするのは楽しい。友達や弟とボイチャしながらやるともっと楽しい。

でもゲームをやったあと、現実に戻るとすぐに思い出すのだ。自分という人間のいい加減さ、不甲斐なさ、無力さを。それがひどく虚しい。

 

かつて、あれほどまでに熱心に、なんの根拠もなしに自分を信じていたあの時の僕は既にもう消えた。今ここにいる僕は、自分の力では大したことも成し遂げることができないことを確信している。

でも、僕はこんな風に考えているのに、どこまでも情けないことに、まだ自分を信じてあげたいのだ。口ではこんなふうに抜かしているのに本当の本当はまだ自分なら出来ると思っているのだ。

そんな圧倒的な矛盾を孕んだこの感情は僕を部屋に閉じ込めるのには大きすぎる理由となった。

 

でも、分かっている。自分を信じられるようになるためには外に出てなにかを成し遂げなればならないことを。

 

ようやく大学の授業のために外に出たときには、夏の日差しが頭のてっぺんから降り注いでいた。36時間以上ロクな飯も食わず、22℃の室内にいた僕にとって、その日差しはあまりにも暑く、眩しかった。

でも、何故かその時に自分の「生命」について、強く実感できた。

朦朧とする視界、鼻をつく草の匂い、肌を刺す日差しが否応に自分が生きていることを感じさせた。

 

そう、僕はまだ生きているのであった。

生きるものにはそれなりの義務があるはずだ。

 

何かを成し遂げられない僕にもその義務は等しく存在しているはずだ。

何も成し遂げられなくても義務だけは果たすべきなのではないか?今の自分の「生命」を支えてくれた人々のために。

 

灼けるアスファルトに陽炎がゆらめいていた。